祈りの言葉


「心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる。柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ。義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる。憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける。心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る。平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。わたしのためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を浴びせられるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイによる福音書5章3-12節)


☆彡ラインホールド・ニーバーの祈り

神よ、
変えることのできるものについて、それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変えることのできないものについては、それを受けいれるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、 変えることのできるものと、変えることのできないものとを、 識別する知恵を与えたまえ。 


☆彡アッシジのフランチェスコの平和の祈り

主よ、わたしを平和の器とならせてください。
  憎しみがあるところに愛を、
  争いがあるところに赦しを、
  分裂があるところに一致を、
  疑いのあるところに信仰を、
  誤りがあるところに真理を、
  絶望があるところに希望を、
  闇あるところに光を、
  悲しみあるところに喜びを。
ああ、主よ、慰められるよりも慰める者としてください。
  理解されるよりも理解する者に、
  愛されるよりも愛する者に。
  それは、わたしたちが、自ら与えることによって受け、
  許すことによって赦され、
  自分のからだをささげて死ぬことによって
  とこしえの命を得ることができるからです。

 

☆彡We Shall Overcome

1. We shall overcome
We shall overcome
We shall overcome some day
Oh deep in my heart
I do believe
We shall overcome some day …

1 勝利をのぞみ 勇んで進もう、
  大地ふみしめて。
  ああ、その日を信じて
  われらは進もう。
2 恐れをすてて 勇んで進もう、
  闇に満ちた今日も。
  ああ、その日を信じて
  われらは進もう。
3 手をたずさえて 歩もう共に、
  勝利のときまで。
  ああ、その日を信じて
  われらは進もう。
4 平和と自由 主はいつの日か、
  与えてくださる。
  ああ、その日を信じて
  われらは進もう。

(讃美歌21 471 「勝利を望み」から)
*キング牧師による公民権運動でも有名な曲

 

☆彡We Shall Overcome

1. We shall overcome
We shall overcome
We shall overcome some day
Oh deep in my heart
I do believe
We shall overcome some day …

1 勝利をのぞみ 勇んで進もう、
  大地ふみしめて。
  ああ、その日を信じて
  われらは進もう。
2 恐れをすてて 勇んで進もう、
  闇に満ちた今日も。
  ああ、その日を信じて
  われらは進もう。
3 手をたずさえて 歩もう共に、
  勝利のときまで。
  ああ、その日を信じて
  われらは進もう。
4 平和と自由 主はいつの日か、
  与えてくださる。
  ああ、その日を信じて
  われらは進もう。

(讃美歌21 471 「勝利を望み」から)
*キング牧師による公民権運動でも有名な曲

 



☆彡 病者の祈り~ニューヨーク・リハビリテーション研究所の壁に書かれた一患者の詩

大事を成そうとして
力を与えてほしいと神に求めたのに
慎み深く従順であるようにと
弱さを授かった
より偉大なことができるように
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた
幸せになろうとして
富を求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった
世の人々の賞賛を得ようとして
権力を求めたのに
神の前にひざまずくようにと

弱さを授かった
人生を享楽しようと
あらゆるものを求めたのに
あらゆるものを喜べるようにと
生命を授かった
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意にそわぬ者であるにもかかわらず
心の中の言い表せない祈りは
すべてかなえられた
私はあらゆる人々の中で
最も豊かに祝福されたのだ

 


☆彡あしあと

ある夜、ある人が主イエスと共に海岸を歩いている夢を見た。大空には彼の人生の一コマ一コマが映し出され、それぞれのシーンには二組の足跡が砂の上のあるのに気がついた。1つは彼のもの、そして、もう1つは主イエスのものであった。人生の最後のシーンが映し出された。彼は後ろを振り返り、砂の上の足跡を見た。彼はその中で何度も足跡がたった一組だけになっていたことに気がついた。だが、それは彼が人生の中で最も落ち込み、悲しみに満ちていた時であった。そのことで彼は悩み、主に聞いた。「主よ、かつて私があなたに従うと決心したら、あなたは全生涯、私に伴って下さると言われました。しかし、私は人生の最も苦しかった時に一組の足跡しかなかったことに気がつきました。あなたを一番必要としていた時に、なぜ、あなたは私を見離したのか分かりません」。主は答えられた。「私の最愛の子よ。私はあなたを愛している。そして、決して、あなたから離れはしない。あなたの試みの時、悩みの時、足跡が一組しかなかったのは、その時、私があなたを背負っていたからなのだよ。」

 


★トーマス・マートンの祈り

「神よ、我が主よ、目の前に道が見えません。どこで終わるのかもはっきりわかりません。自分の現実の姿も知らないし、あなたの御意志に誠実に従っていると信じてはいても、本当にそうしているとは限りません。でもあなたを喜ばせたいと望むことで喜んでいただけると信じています。そして何をするにもこの望みを持ち続けたいと思います。この望みなしでは何もするつもりはありません。そうすれば正しい道へお導きくださるとわかっています。たとえそれがどのようなものか全くわからなくても。それゆえ、いつもあなたを信頼いたします。たとえ道を見失って死の暗闇に向かっているように見えたとしても。何も恐れません。あなたがいつも私とともにあり、危険の中に私を一人、見放したりは決してなさらないでしょうから」。